スープボール

ゆとりの備忘録

中森明菜とゆとりのコンプレックス

中森明菜】を意識するようになったきっかけは、【V6】と同じく『Mステ 15周年スペシャル(2001)』。
ものすごい量の過去映像を流すため、1曲の尺はかなり短かった。
そこで『難破船』を歌う明菜さんの姿を見て「この人あぶない」と思ったことを今でも覚えている。

“私は愛の難破船” という1フレーズだけだったが、当時10歳だった私には衝撃的だった。
ゾクッとした。ああいうのって天性のものだと思う。
それからCDレンタルすらすることなく時は流れ、4年ほど前に『TANGO NOIR』の動画を観てどっぷりハマったのである。


ゆとりど真ん中の私にとってのアイドルは、やはり【モーニング娘。】。かなり好きだった。しかし、5期メンバー加入あたりで徐々にフェードアウトし『ここにいるぜぇ!』で完全に離れた。

原因は《曲》。だんだんと対象年齢が下がっていっている気がしたこと
初期の楽曲が好きすぎた所為もある。
『かわいい』に媚すぎず、背伸びしてる感じが良かったのだと思う。だから『Memory 青春の光』はどストライク。この歳になっても、とてもいい曲だと思う。


「日本は今ほどロリコン文化の国ではなかった」
「女の子が大人の女性になる過程を楽しんでいた」
《アイドル》について、マツコ・デラックスが何年か前に番組でそんなことを言っていた記憶がある。
もちろんマツコと私では年齢から何から全く違うけれど、私がモー娘。から離れた理由がそのことばで明確になった。

勝手な理想として《アイドル》にはいつも自分より《お姉さん》であって欲しかったのだ。その理想の先に【中森明菜】がいる気がする。


2年ほど前に知ったことだが『難破船』は加藤登紀子さんの曲なのね。どうりで…。
明菜さん当時22歳。
そして『TANGO NOIR』『BLONDE』も同年リリースだと知り、これまた驚き。
1987年怖い。
それを20代で歌って全く違和感がない明菜さん何者。
それが違和感なく自然に受け入れられていた80年代すげえ、というのがゆとりの頭の悪い感想。


自分が生まれる前のものに惹かれる、ちょっとした病気かもしれない。
80年代やバブル期って、材料にとんでもなく金をかけた《闇鍋》で、当時の人達はその中から興味のあるものを引っ張り上げ振り回し騒いでいたイメージ。
ゆとりの私には絶対に入れない世界。


バービーボーイズSHOW-YAアン・ルイスだって、今デビューしても「はいはい、奇をてらったあのパターンね」とイメージで括られ、イロモノ扱いされるだろう。
あの時代だったからこそ、多くの人に受け入れられたのだと思う。
あの《何でもあり》みたいな、みんなが素面でベロベロになれる感じが恐ろしくもあり魅力的にも見えてしまう。
リアルタイムで楽しんでみたかった。単純に羨ましい。


そして、自分よりも年下のアイドルが増えてくると、アイドルへの拒否反応が徐々に弱まるこの現象は何なのだろう。

それまでは、アイドル特有の“いい子ちゃんキャラ”を《ぶりっ子》の一言で片付けていた。
しかし、女性アイドルグループがメンバーを入れ替えながら《女の子たち》であり続けることは簡単なことではないはず。
特に今の時代はどこにいても見張られているようなもので、“年頃の女の子” には余りにも苦しく、生きにくいだろう。
「仕事として《女の子》演じるのはキツいよな」「たくさん無理してるんだろうな」とか目線が変わってくると途端に応援したくなる不思議。

会うことも話すこともないから、性格がどうとか私の知ったことではない。
言動に対して思うこともたまにあるけれど、アイドルとして好きでいるだけ。
「こりゃプロだわー」と思わされるのが好き。
1番は曲。
曲>作者/演奏者/歌手 という考えは揺るがない。


去年あたり、モー娘。6期の動画を色々見て、年甲斐もなく泣いた。大人になってからのほうが、グッとくるものが多い気がする。『大きい瞳』聴くとたまらなくなる。リアルタイムで応援していたかったと今更ながら思う。

アイドルに限らず、自己主張の激しい子・ツンケンしてる子・ワガママな子がとにかく苦手だった。
小さい頃に観ていたアニメでも、セーラームーンのレイちゃん・おジャ魔女のおんぷちゃんは当時好きじゃなかった。
エヴァだって、中学生あたりで観てたら確実にアスカは嫌いだった。
20歳過ぎてエヴァ観始めてよかったと心から思う。
Qがつらすぎて、DVD引っ張り出してアスカ登場回観て気を紛らわせたりしたよ。
14歳(28歳)達の幸せを切に願ってます…。


ぶりっ子やわがままな子が苦手だったのも、コンプレックスが原因だと今になってわかる。
元々引っ込み思案ではあったし、自分の容姿では女の子らしくするのはキツい、ぶりっ子なんてもってのほか、くらいに思っていた。
自分には到底できない振る舞いを平然とやってのける女の子が好きになれなかったのだろう。
堂々とぶりっ子が出来るのって実は、真の『サバサバしている』ってことなのではないかと思い始めている。
世のぶりっ子キャラにたくましさを感じる謎が今解けた気がする。
またそれが『自称サバサバ=地雷』に繋がるのではないかと。



中森明菜から始まり、結果よくわからん悟りをひらいてしまった。
誰かに読んで欲しいという気持ちはもちろんゼロではないが、結局自己満足なんだよな。
文章力はゼロだけど。
ブワーっと高まったのを記録しとかないと落ち着かないんだな。
変わらず好きなことだけを書いてこう。